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今年、10月1日は東海道新幹線開業50周年!
(*'-'*)
東海道新幹線開業50周年シンボルマーク(2014年7月9日撮影)

本書は、その東海道新幹線について『鉄道ピクトリアル』誌と『電気車の科学』誌に、国鉄担当者から寄稿された1950年代後半の高速列車計画概要紹介記事に始まり、その後の計画の進展、開業まで、リアルタイムで進む当時の様子を再録したものです。
輸送計画の策定から、従来に例のない高速に挑む車両の規格・性能の検討、電気・信号・軌道の各システム概要、
各区間の工事状況、モデル線の建設から試験編成の紹介、メーカーからの搬入、試運転、車両基地、車両の運用・配置、試運転・1番列車の乗車体験記、
当時検討された貨物新幹線の構想、当時の「鉄道の話題」に掲載された新幹線関連の記事など、いずれも貴重な記事を収録しています。
■巻頭記事 東海道新幹線開業50年に思う(今田 保)

鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション28 東海道新幹線1950-60 2014年 06月号 [雑誌]

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本書はかつて東海道新幹線の運転士だった方が書いた「裏話」ですが、構成が変わっていて、第一部が「0系運転士」の、第二部が「N700系A運転士」の座談会みたいな感じになっています。
(文庫版ですが、「全篇書きおろし」です。)
昭和50年代、大阪の乗務員宿泊所が不足していたらしく、新大阪駅前のビジネスホテルを国鉄が借り上げて宿泊所にしていたこと、
0系先頭車にあった、運転席とは別の「乗務員室」(個室)は便乗運転士用の設備で、中には二人座れる長椅子があった・・・といった細かい記述が、むしろ「運転テクニック」自体の話よりも面白い(笑)。

また、現在は運転士と車掌は兼任で、「N700系A」の章を読むと、どういうローテーションで運転士をやったり、車掌をやったりしているのかもわかりますが、
地方私鉄のワンマン列車の運転士と違い、JRは乗車券の規則が複雑で、畑違いの分野である「営業」の知識を習得するのは大変だったろうなぁ・・・と思いますね。
苦労といえば、「朝食に”納豆を食べたい”と思ったが、あまり消化に良い食べ物は乗務中にトイレに行きたくなるから控えた」との記述があります。これも、乗務員特有の「苦労」です(笑)。

経験者ならではの、そして、退職後も人脈を持つ著者にしか書けない話題が全篇にわたって書かれており、一読の価値があります。また、JR東海は「テロ対策」か何か知らんが、「鉄道の舞台裏」を公開することを極端に嫌う会社ですから、その意味でも本書の内容は大変貴重なものです

東海道新幹線 運転席へようこそ (新潮文庫)

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【思い出の画像】東海道線東京口のブルートレイン(2)

特急4列車「さくら・はやぶさ」EF66 46[関](2003年12月7日・辻堂~茅ヶ崎間)

こんにちは。みっぴょんです。
(*'-'*)
「東海道線東京口ブルートレイン回顧」の第2回目です。

■特急「あさかぜ」(東京~下関[・博多]間)
「あさかぜ」は1956(昭和31)年11月19日に旧型客車で運転を開始し、1958(昭和33)年10月1日から20系客車になった「元祖ブルートレイン」でした。その後、車両は24系25形に置き換えられています。
(下関「あさかぜ」が1977[昭和52]年9月28日から、博多「あさかぜ」が1978[昭和53]年2月1日から車両置き換え。)
特急6列車「あさかぜ」EF66 50[関](2002年7月25日・辻堂~茅ヶ崎間)

長い間、東京~博多間の「あさかぜ1号・4号」(客車はJR東日本担当)と、東京~下関間の「あさかぜ3号・2号」(客車はJR西日本担当)の2往復が運行されていましたが、
1994(平成6)年12月3日のダイヤ改正で「あさかぜ1号・4号」が廃止され、残った3号・2号が、単なる「あさかぜ」として運行を継続しました。

博多行時代に一度乗っているんですが、生き残った下関「あさかぜ」にも何回か乗っていますよ。
これには面白い客車が連結されていましたね。
モハ・・・じゃないですよ。スハ25形(スハ25 301~303)です。
スハ25形300番代(2005年2月・横浜駅)

「あさかぜ」(と「瀬戸」)の電源車はカニ24形でしたが、これを「トワイライトエクスプレス」に転用することになり、新しい電源車として1989(平成元)年にオハ12形から改造したのが、スハ25形です。
これまでの電源車は、ディーゼルエンジンを回して発電していましたが、スハ25形はパンタグラフから直流1500Vを集電し、静止型電力変換装置(SIV)を通じて、各車両へ照明や冷暖房の電力を供給していました。
このパンタグラフは、異常時には電気機関車から下降させることができ、そのためのスイッチが下関車両管理室所属のEF66形と、田端運転所所属のEF65形(1000番代車)にはあったそうです。

しかしまあ・・・「パンタグラフの付いた」客車っていうのも、相当に奇妙な感じがしましたね。
( ゜。゜)ウヒョー
もっとも、それは私が、変に鉄道のことを知っているからで、普通の人は何とも思わなかっただろうなぁ(笑)。。。。

スハ25形は、車内の機器室以外の部分が「ラウンジ」として開放され、有料のシャワー室もありました。
(車掌さんから、300円のカードを買う。それをシャワー室内のカードリーダーに差し込むと、確か6~7分間お湯が出た。)
スハ25形300番代車内(1999年1月24日・東京駅)

上の写真は「やらせ」です。一杯やっている人たちがいたんですが、「写真を撮るなら、どきましょう」というのを「いや、飲んでいる人が写っていたほうが雰囲気が出るので」と制し、「モデル」になってもらったんです(笑)。
ラウンジの片隅にカウンターがありましたが、私が見たときはいつもシャッターが閉まっており、何かを販売しているのは見たことがありませんでした。
市価より若干高い、ビールとジュースの自販機はありましたが。。。。

電源車がカニ24形だった頃には、「ブルートレイン便」の小荷物を搭載していましたが、スハ25形に荷物室は無く、代わりに「変なオハネフ25形」が、これも改造で生れました。
オハネフ25形300番代(2005年2月・有楽町駅)

オハネフ25形300番代車(301~303)というんですが、写真の「JR」マークが付いている部分に荷物室が設置され、そこに小荷物を搭載していました。
ただ、正式には荷物室ではなく、「業務用室」という扱いだったそうで、そのため「オハネニフ25」とは名乗らなかった・・・というんですが、その理由は私も存じません。

末期は「珍改造車」が連結されていた「あさかぜ」も、2005(平成17)年3月1日のダイヤ改正で廃止されました。
残念なのは、もう1年間走れば「あさかぜ号50周年」だったことですね。。。。

■特急「富士」(東京~大分[・宮崎・西鹿児島]間)
私が子供の頃聞いた「日本一長い距離を走る列車」といったら、それは寝台特急「富士」でした。
東京~西鹿児島(現:鹿児島中央)間を24時間26分かかって、日豊本線経由で1595.2Km(注:『時刻表』掲載の「営業キロ」ではなく、実測キロ数)を走っていました。
さすがにこれは昭和50年代でも「時代遅れ」になっており、1980(昭和55)年10月1日のダイヤ改正で、東京~宮崎間に短縮されました。
下吉田スハネフ14・4

その後、一時期は宮崎駅のひとつ先、南宮崎まで走っていましたが(南宮崎に車両基地があり、要するに「入庫回送列車」を旅客扱いしていた)、
1997(平成9)年11月29日のダイヤ改正で、東京~大分間に短縮されてしまいました。
この時、東京~西鹿児島間(博多・熊本)経由の特急「はやぶさ」も東京~熊本間に短縮され、鹿児島県と宮崎県から「東京直通列車」が姿を消しました。

私は「富士」に乗ったことがあったかなぁ・・・。はっきりした記憶は無いんですが、とにかく、写真だけは結構撮っていますよ。
特急2列車「富士」EF66 54[関](2003年12月7日・辻堂~茅ヶ崎間)

この「富士」のヘッドマークは、戦前、東京~下関間を走った特急「富士」の1等展望車に掲出されていたテールマークを模したデザインだそうです。
これは2003(平成15)12月7日に、辻堂~茅ヶ崎間で撮ったんですが、実は、「富士」は「ついで」に過ぎません。
本当に撮りたかったのは何かというと・・・。

私がカメラを構えていたら、当該列車の通過1分前ぐらいにワゴン車が停まり、運転席から一眼レフカメラを持った青年が大急ぎで降りてきました。
そして、彼と二人で横並びになって撮った列車は。。。。
千マリ183系「6」編成(2003年12月7日・辻堂~茅ヶ崎間)

千マリの183系「6」編成(国鉄特急色)の団体臨時列車でした。
確か伊東発だったと記憶しますが、行先はどこだったのか。当時の『鉄道ダイヤ情報』を調べないとわかりません。
青年は、おそらく仕事の途中だったんでしょうね。これを撮ると、満足そうに去って行きました。
(*^_^*)
「富士」は、2005(平成17)年3月1日のダイヤ改正で「さくら」との併結運転になり、この単独ヘッドマークは見られなくなってしまいました。

■特急「さくら・はやぶさ」(東京~長崎・熊本間)
「さくら」は東京~長崎・佐世保間の列車であり、「はやぶさ」は東京~西鹿児島(後に熊本)間の列車である・・・というのが、私の認識でした。

しかし、1999(平成11)年12月4日のダイヤ改正で「さくら」の佐世保編成が廃止され、おまけに東京~鳥栖間では「はやぶさ」と併結運転になりました。
佐世保編成廃止の理由は、「海上自衛隊の旅費支給規程が変わり、飛行機の利用を容易に認めるようになったからだ」と噂されましたが、本当かどうか。
特急4列車「さくら・はやぶさ」EF66 49[関](2005年1月・東神奈川駅)

昔・・・1980~90年代、東京と九州の間には「指定席往復割引きっぷ」という企画乗車券がありました。
これは「新幹線と、九州内在来線特急の乗り継ぎ(普通車指定席)」利用か、「寝台特急のB寝台」利用を選べるもので、東京~九州間往復3万円台でした。
その頃は、まだ航空運賃が高く、この国鉄・JRの往復切符は有効期間が2週間と長かったので、私も2回ぐらい使ったことがあります。
首都圏では、結構広域で発売されていましたが、千葉鉄道管理局では「木更津駅・君津駅・青堀駅←→北九州市内各駅往復」というのも売っていました。
君津と八幡の間を往復する、新日鐵の関係者が使ったんでしょうかね。
( ・_・)/「時代」を感ずるね!
さて、上りの「さくら・はやぶさ」は東京着が11時33分と遅く、お寝坊しても撮れたので(笑)、ずいぶん撮りました。

これにも「変なの」が連結されていたなぁ。。。。
オハ24 703~705のいずれか(2005年1月・東神奈川駅)

不鮮明な写真で恐縮ですが、オハ24形「ロビーカー」です。窓配置からして、オハネ14形から改造されたオハ24 703~705のどれかではないかと思います。
(オハ24 701・702はオシ24形食堂車からの改造で、窓配置が異なる。)
これは、国鉄末期の1985(昭和60)年3月14日から「富士」に連結されたのが最初でしたが、その初日に横浜駅で見て「うわぁ、面白い車両ができたなぁ」と思いました。
(*'-'*)乗ってみたいなー
でも、よく考えてみたら「輸送力増強」に追われていた時代だったら、こんな車両を連結するなど許されなかったでしょうね。直接運賃・料金収入には結びつかない「談話室」車ですから。
それが可能になった背景には、全般に寝台特急の利用者が減っていたことと、この「60・3」ダイヤ改正から、それまでのEF65形に代わり、高速貨物列車の削減で余剰気味になっていたEF66形電気機関車(当時の国鉄で最もパワーがあった)が牽引するようになって、牽引力に余裕が出たこともあったのでしょう。

【画像追加】(2013-03-12)
上に記したオハ24 703~705のうち、どれなのか正確な車号は不明ですが、写真が出てきたので追加します。
オハ24 703~705(熊クマ)(正確な車号不詳・1999年1月24日・東京駅)

その車内。右側にカウンターが見えますが、朝、ここで車内販売員が駅弁やサンドイッチ、飲物などを売っていました(私は、夜間に営業しているのを見かけたことはありませんでした)。
このロビーカーは「北斗星」「トワイライト」のオハ25形と異なり、シャワー室はありませんでした。
(追加写真は2点とも1999年1月24日・東京駅で撮影。)
オハ24 703~705(熊クマ)車内(正確な車号不詳・1999年1月24日・東京駅)

「さくら・はやぶさ」時代は、「さくら」編成が14系客車、「はやぶさ」編成は24系25形客車でしたので、九州方にカニ24形を連結していました。
特急4列車「さくら・はやぶさ」(2005年1月・東神奈川駅)

「さくら」は、2005(平成17)年3月1日のダイヤ改正で廃止されることになりました。
撮れるチャンス最後の日曜日、国府津駅構内を東京へ向かって走る「さくら・はやぶさ」を撮りました。
特急4列車「さくら・はやぶさ」EF66 50[関](2005年2月27日・国府津駅)

ご多分に漏れず、沿線ではやたらにカメラを構えた人が多かったんですが、こんな場所で撮る人は他に誰もおらず、一人で見送り、走り去った後は下曽我へ梅を見に行きました。

■特急「富士・はやぶさ」(東京~大分・熊本間)
とうとう東京駅発着のブルートレインも1往復だけとなり、生き残った者同士で「富士・はやぶさ」としてパートナーを組んでいました。
俗に「富士ぶさ」などと呼ばれていましたね。ヘッドマークのデザインも変わりました。
特急2列車「富士・はやぶさ」EF66 51[関](2006年10月15日・真鶴~湯河原間)

上の写真は2006(平成18)年10月15日、湯河原駅から真鶴方へ20~30分歩いた丘の上から撮りました。
この頃には、客車は14系と14系15形になっており、電源車は連結されていませんでした。
同じ時に撮った、EF66形100番代(ふく爺氏によれば、通称「鮫」)牽引の高速貨物列車もついでに貼っておきましょう。
高速貨物列車EF66 118[吹](2006年10月15日・真鶴~湯河原間)

ハイライトは「富士・はやぶさ」だけではなく、貨物列車の通過があり、他に伊豆高原から東京へ向かう「リゾート踊り子」(実質的には「送り込み回送」列車)とか、
今は東日本管内には来なくなった373系の特急「東海」、それに、運用の都合で普通車のみ5両+5両のE231系普通列車など、面白い物が撮れました。
(一時期、これは185系「C編成」の、普通車のみ5連だったようです。)

ただ、横で撮ってた兄ちゃんに、上記のE231系の珍運用について尋ねたら「機関車しか撮らんから、わからん」だとよ。。。。
┐('~`;)┌
この「普通車のみ」のE231系珍運用はその後、程なくして消滅しましたし、373系も今は、湯河原では撮れなくなりました。
実にもったいない。「能書きはいい。何でも撮っておけよ」って思いますけどね。。。。

この時は、「富士・はやぶさ」通過後も211系などを撮って、「青い目の参議院議員」ツルネン・マルテイ(弦念 丸呈)氏の事務所を見ながら(笑)、真鶴駅までぶらぶら歩き、さらに真鶴半島へ行ってみました。
撮影地の近くに「立ち寄り温泉」があったんですが、駐車場に車がいっぱい停まっており、「混んでるんだろうなぁ」と敬遠しましたが、入ってみるんでしたかね。

「富士・はやぶさ」を最後に撮ったのは、2008(平成20)年4月撮影の、このカットでした。
お友達が大分へ帰省するのを見送りに、差し入れのお酒やおつまみを持って東京駅へ行ったときに撮ったものです。
スハネフ15形(2008年4月29・東京駅)

スハネフ15形の帯は銀色がオリジナルでしたが、いつの間にか白に変わっており、びっくりしましたね。

「富士・はやぶさ」は2009(平成21)年3月14日のダイヤ改正で廃止されましたが、それは「東京駅発着ブルートレイン」の廃止というだけでなく、
1942(昭和17)年11月15日の関門トンネル開通から、67年間続いた「東京~九州直通旅客列車(在来線)」の終焉でもありました。
下吉田スハネフ14・5

最終日、見に行こうと思えば行かれましたが、どうせ東京駅や横浜駅は人で一杯に決まっており、家でNHKの特別番組を観ました。
欧米の鉄道ファンに言わせると、「列車の廃止に、あんなに大勢の人が集まり、マスコミが大々的に取り上げる国は日本ぐらい」だそうですが、
NHKは妙に張り切っており、録画ではありましたが、最後の上り9002列車(注)が東上するのを、名古屋放送局→静岡放送局→横浜放送局のリレーで追いかけ、
締めくくりは放送センター(東京)が、ヘリから田町付近を走る9002列車を撮っておしまい・・・でした。

私のブルートレイン回想記も、これでおしまいです。
(*'​-')​ノ またね~♪

(注)最終列車は、終着駅到着が「ダイヤ改正後」の3月14日となるため、臨時9001・9002列車として運行されました。
なぜなら、定期列車としての1列車・2列車は、書類上は3月13日24時をもって「廃止」されてしまっているため、それ以後も終着駅まで走り続けるためには、「3月14日の一日限り運転される”臨時”列車」としなければならない・・・という、厄介な手続きがあるのです。
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No title

ブルートレインの続きは充実してますね
(@.@)
「あさかぜ」スハ25が連結されていたのは知りませんでした
ブルートレインなのにパンタグラフって不思議ですよね
ラウンジカー・シャワー・テレビって当時は豪華だったのでしょうね
移動は夜間でリッチにって感じですかね
「富士」って存在感ありましたよね!
日豊本線経由って言葉を子供の頃に覚えた記憶あります
「さくら・はやぶさ」「富士・さくら」終盤は一緒に走っていましたね
最後の座席の画像がいいですね!
(^.^)
連続2編の回想記お疲れ様でした
私も懐かしい気分になれました
(*^,^*)v

aki様

>ブルートレインなのにパンタグラフって不思議ですよね

これは不思議でしたよ。。。。
(・.・)?

>ラウンジカー・シャワー・テレビって当時は豪華だったのでしょうね

東日本持ちの「あさかぜ1号・4号」の「デュエット」車(スハネ25形700番代)に、シャワーと小さなロビー室があったんですよ。
「あさかぜ3号・2号」にもそういう設備がないとバランスがとれないので、設けたんじゃないかと思いますね。
このテレビは、車外からの受信は不可能で、ビデオ放映用みたいです。

>「富士」って存在感ありましたよね!

列車の「格」としては「さくら」とか「あさかぜ」の方が上位だったんだろうと思いますけどね。
でも、宮崎県には「日南海岸」とか「フェニックスの並木道」とか、そういう明るいイメージがありましたね。
プロ野球のキャンプも多い宮崎県ですが。。。。

>最後の座席の画像がいいですね!

これは「ありあわせ」の画像でして、富士急の下吉田駅に保存されているスハネフ14のですが。。。。
(*'​-')​ノ では~♪




寝台特急「富士」

なかなか貴重なお写真ですね。
寝台特急「富士」ですが、私は確か1978年に東京~西鹿児島(当時)時代に乗ってますよ。もちろん東京から西鹿児島まで24時間25分(だったかな)!当時は日豊本線の宮崎~西鹿児島が非電化だったため宮崎でDF50に機関車を交換したのを覚えてます。しかも大分か宮崎から自由席になってしまったので自分のテリトリーが奪われる感じが小学生ながらに不快でしたよ。
確かに「時代遅れ」でしたが、24時間乗りっ放しはもう二度とできない体験でしょう。若干「トワイライト」で、近い体験ができなくも無いですが・・・

ダイヤモンド★トナカイ様

こんばんは。
(*'-'*)

大した写真じゃないので。お恥ずかしい限りです。
私の写真理論など
「被写体をグッと引き寄せて撮る」
しかないので。。。。
(まあ、たまに「俯瞰」とかもやってみますが。)

「富士」は、1977(昭和52)年当時の『時刻表』を見ると
・7列車 東京発18:00→西鹿児島着(翌)18:26
・8列車 西鹿児島発9:41→東京着(翌)10:10
だったようです。
日豊本線の末端区間は単線ですから、多少の変動は時刻修正のたびに発生したと思いますが、だいたい「24時間」前後で走っていたようですね。

しかしまあ、西鹿児島へ到着した車両は、寝台車だというのに、この夜は走らず「車庫で1泊」してたってことですよね。
これは面白い。。。。
(「はやぶさ」編成も同じです。)

>当時は日豊本線の宮崎~西鹿児島が非電化だったため宮崎でDF50に機関車を交換したのを覚えてます。

私は現役時代のDF50形を見たことがないんですが(大阪の交通科学博物館に保存車があったような・・・それは見ていますが)、
電気式のディーゼル機関車なので「エンジンの音と、旧型電車のモーターの音が同時にする」と聞き、不思議な感じがしたものです。
(・.・)?

>しかも大分か宮崎から自由席になってしまったので自分のテリトリーが奪われる感じが小学生ながらに不快でしたよ。

当時は、特急列車の本数が多くなかったので、やむを得なかったんでしょうね。
今は・・・大分~宮崎間は「にちりん」が1時間に1本ぐらい走っているので、特急は便利になりましたが、逆に普通列車が極端に減って昔より不便になっていますね。
佐伯~延岡間の普通列車なんて1日3本とか、そんなもんでしょう。。。。

>若干「トワイライト」で、近い体験ができなくも無いですが・・・

「トワイライト」は完全に「観光列車」で、往時の「富士」とはまた違うんでしょうね。
「富士」には仕事とか帰省、その他の用務で乗る人も多く、それこそ大分から先は「自由席」として、地元の人が気軽に乗ってくるような・・・なんというか「生活の匂い」があったんでしょう。
「トワイライト」に乗る人は、まず95%は「レジャー」でしょうから、だいぶ様子は違うでしょう。

私は、どちらかといえば「人々の暮らしや人生」を感じさせる列車が好きですね。その点、昔のブルトレには「味とコク」(?)がありました。
(*'​-')​ノ

もっと早く乗りたかった

こんばんは、未明に失礼します。
東京駅から九州ブルトレが消えてもう4年、早いです。
もともと103系、113系など、「国電」中心に追っかけてきた自分が、ブルトレに興味を持つようになった頃は既に衰退期になっており、東京ブルトレはあまり乗車できなかったのが、今になってみると残念です。
乗車できたのは、「あさかぜ2号」、「あさかぜ52号」、「さくら,はやぶさ」、「富士,はやぶさ」、「銀河」でした。
「あさかぜ」は、小学生の時で、2号が雪の影響で約2時間遅れ、52号は20系でした。20系、今思えば貴重ですが、まともに写真撮らなかったのが惜しいです。
「さくら、はやぶさ」は、静岡〜新山口の乗車、もう少し長い距離乗っておけば…と、これも残念。
「銀河」は、東海エリアでやたら加減速が激しかった覚えがあります。
「富士、はやぶさ」、2008年7月、東京〜大分、熊本〜東京と全区間乗車できました。まだ廃止の正式発表前だったためか、ほぼ満席でしたが、落ち着いていて、いい時に乗車できたと思います。
東京〜大分〜熊本〜東京を国鉄車両だけで移動できた、貴重な経験でした。
当時「はやぶさ」で乗車したスハネフ14 5、日田市内で保存されているそうなので、会いに行きたいです。
多良木のブルートレインの宿も宿泊したいですね。

ええなあ。

 思い出の画像シリーズ、懐かしく羨ましく見たよ。
ワシはブルトレ特急にゃほとんど乗ったことねえさ。
そうは言っても、はやぶさと彗星、急行銀河は乗った。

 寝台に乗った最初は、急行瀬戸か讃岐なんだけど、
どっちだったかは、はっきり覚えていねえ(^^)
 高松まで行くときに、岡山か宇野まで乗ったんだけど、
三段寝台の一番上だったんで、背の高いワシのつま先が
車両が揺れる度に屋根のカーブに触るので寝られなかった。
 しょんねぇから、枕元の荷物置き場に頭をずらして足元に
空間を作って寝直したけど、その後振り出した雨が屋根に
当たる音が気になって、結局寝れねえっけ。

 はやぶさには、なんやかや4回乗った。
特に、はやぶさ好きという訳じゃねえけど、下りの静岡発、
上りの静岡着時間がワシにゃあ一番都合が良かったんでな。
 夜行の九州急行も桜島、高千穂にゃ随分世話になった。
金がねえ時代で、とてもじゃねえが寝台なんか利用できず、
いつも自由席座席車ばかり。
 乗客が多い時代だったから、当然静岡からは座れねえ。
暮れの27日に乗ったときなんて最悪。
えれえ混みようで、下関まで立ったりしゃがんだりの繰り返し。
ほかのみんなは新聞紙を通路に敷いて寝ていた。

 次回に乗ったときも同じ状態だったけど、自分は対策万全。
デッキにアルミ製カメラバッグを置き、それに腰掛けて凌いだ。
 その都度、門司や折尾、博多で降り、あとは筑豊本線界隈の
撮影三昧。

 笹栗線が開通したばかりのころで、博多から桂川に行くのが
楽になったなあと感じたけど、利用はこのときの一回だけ。
笹栗線で次の駅名が「くろうばる」という表示を見ても、容易に
漢字解釈ができなかった、「にゅうたばる」やら「はるだ」など
「原」の読みは、そのとき覚えた。
 そうそう、その原田でC5557号機の姿が真横から撮れて
すげえ嬉しかったなあ、スポーク動輪が綺麗だった。

 当時の筑豊も、すでに閉山された炭鉱は少なくはなかったけど、
桂川には日鉄鉱業のダイブ(漢字不明)鉱山というのがあって、
石炭を満載したセム、セラ40両あまりを牽いたD51が、
5/1000勾配を上がってくるのを桂川駅近くで待ったもの。

 どの列車も石炭満載だから、直方駅や飯塚駅で発車の光景を
見ていると、機関車動輪が空転するのが目立った。
 筑豊名物のボタ山は、夏には暑さで自然発火して煙を上げる
ほどなのに、冬場は雪が降り積もり全く違う世界に変わる。
 田川線、後藤寺線、添田線、糸田線、室木線、香月線、
上山田線などなど・・・、北九州のほとんどの支線に入って
みたけど、今いくつの路線が残っているのやら。

 おっと、寝台列車から、大きく話が逸れてごめんよ。
銀河にも、乗っておいて良かった。
本当は当日朝一番の新幹線で新大阪まで行っても間に合うん
だけど、わざわざ前夜に発車(発車時間は不便きわまりなく、
そのころの静岡にはドトールやスタバはなかったんで、
デニーズのコーヒーで時間潰し)する銀河を選んだっけ。

 今回、みっぴょんの写真を見て、羨ましかったのはもちろん、
同時に自分が撮れなかった無念さも込み上げてきた。
 平成13年から親父の介護、14年に他界。
15年には家内とおふくろの看護と介護、16年に家内と
母親が他界。
 ここからの1年半くらいは激務も手伝って、撮影したい
という気持ちもすっかり萎えちまった。

 なので、さくら/はやぶさが消えることなど、人から
聞いてはいても出かける気力が湧かなかった。
 とうとう一回も見ることも撮ることもなく終わってしまった。
見なかった撮らなかったといえば、富士山マークの富士も同じ。

 撮影の空白は4年程度とはいえ、ワシにとっちゃ、私的にも
鉄道ファン的にも大きな痛手には違いねえけど、それでも、
めげずに列車を撮影しているのは、結局のところ列車から
元気を貰えるからに、ほかならない。
 まあ、ワシはけっこう打たれ強い人間だと思っているんで、
これからも自分で動けるうちは、バンバン出かけていくよ。
 今回も懐かしい写真(写真も解説も良かったよ)を有り難う。
ほんじゃあ、元気でな。

103おじさん様

こんばんは。
(*'-'*)
>乗車できたのは、「あさかぜ2号」、「あさかぜ52号」、「さくら,はやぶさ」、「富士,はやぶさ」、「銀河」でした。

結構乗ってますね!
「あさかぜ52号」の20系は貴重な体験ですね。
もっとも、1990年の夏以降、「いまどき20系では特急料金を取れない」として、急行「玄海」に格下げされちゃうんですが。。。。
それも数年で廃止されたと思いますね。

>当時「はやぶさ」で乗車したスハネフ14 5、日田市内で保存されているそうなので、会いに行きたいです。

その「日田天領水の里」については、初めて知りました。
(「日田天領水」というミネラルウォーターは、東京でもよく見かけますけどね。)
ED76+オロネ15+スハネフ14で、ちゃんと編成を組んでいるんですね!
http://www.hitatenryosui.co.jp/link/index.php

>多良木のブルートレインの宿も宿泊したいですね。

多良木・・・私、くま川鉄道って乗ったことないんで、ぜひ行った折には泊まりたいです。
http://www.bluetrain-taragi.com/

阿久根にもあるんですよ。
http://akunets.web.fc2.com/
これも駅から近いし、泊まってみたいですね!
(*'​-')​ノ では~♪

1000番台・66ブルトレ

うぅ~ん。やっぱり「妹分」ですね。

私の時代は500番台ブルトレでした。

乗ったのも20系「瀬戸」。

ブルートレイン牽引機や客車で世代が分かるのも、

こんな趣味の楽しいところですよね。


いつも通りの詳しい記事をありがとうございます。

勉強させてもらってます(笑)

ふく爺様

こんばんは。
(*'-'*)

>今回も懐かしい写真(写真も解説も良かったよ)を有り難う。

静岡県は、一般のブルトレとは別に、熊本から沼津まで某宗教団体の専用列車(7111・7112列車でしたっけ)がありましたね。
昔の車両が何だったかは存じませんが、JR発足の頃は14系15形だったように記憶します。
古い(昭和50年代)の『時刻表』を見ますと、その7111・7112列車のスジを利用して、お盆や年末年始に臨時急行「五島」(名古屋~長崎間)とか、「阿蘇51号」(名古屋~熊本間)なんて列車もあったようですね。
(これは12系だろうなぁ・・・。)

その後、定期のブルトレの利用者が減り、団体さんも「定期列車混乗」で間に合うようになったのか、「定期ブルトレの富士駅停車」が、やたら増えた時期がありました。その団体さんが乗降するためですね。
もっとも、その宗教団体の内部事情で「団体参拝」自体が消滅し、全て「過去の話」になりましたが。。。。

こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます。
説明文は、UPした後にも読み直して、若干加筆修正しています。
私らの世代には「当たり前」であっても、ビギナーの方や、お若い方々にはわかりにくいだろうと思われる箇所もあったので。

>夜行の九州急行も桜島、高千穂にゃ随分世話になった。

「桜島・高千穂」、乗ってみたかったですねぇ!
もっとも、東京から西鹿児島までは苦しいか?
広島あたりでギブアップしたりして(笑)。。。。

>「にゅうたばる」やら「はるだ」など「原」の読みは、そのとき覚えた。

原を「はる」とか「ばる」と読むのは、九州独特ですね。

>桂川には日鉄鉱業のダイブ(漢字不明)鉱山というのがあって

「大分」と書きますね。
もっとも、そのままでは「おおいた」と読まれて紛らわしいので、駅名は「筑前大分」(ちくぜんだいぶ)ですが。

>北九州のほとんどの支線に入ってみたけど、今いくつの路線が残っているのやら。

筑豊本線の一部と篠栗線だけは電化されましたが、それ以外の路線はほとんど残ってないですね。。。。
ウゥゥ(;_;)

>銀河にも、乗っておいて良かった。
>本当は当日朝一番の新幹線で新大阪まで行っても間に合うんだけど、わざわざ前夜に発車(発車時間は不便きわまりなく、そのころの静岡にはドトールやスタバはなかったんで、デニーズのコーヒーで時間潰し)する銀河を選んだっけ。

「銀河」に座席車が連結されていたらよかったんですけどねぇ。
12系か14系の2~3両でもいいから。
静岡から大阪では、寝台券を買っても寝てる時間が短いから、もったいないでしょう。
20系の前、旧型客車だった時代にはスハフ43形が連結されていたようですけどね。
今は・・・清水・静岡~京都・大阪間には夜行高速バスがありますけど。

>今回、みっぴょんの写真を見て、羨ましかったのはもちろん、
>同時に自分が撮れなかった無念さも込み上げてきた。

いや、私もこの時期の写真はあるんですが、1990年代前半の写真がほとんどないんですよ。
個人レベルでは、さまざまな事情で写真を撮っていない時期があっても仕方ないですね。。。。
今だって、「何かがある」からといって全てを追いかけるのは不可能ですし。。。。
(何日か前、浜川崎から沼津まで「シキ」が走ったらしいのよ・・・悔しいなぁ。)

まだまだ寒いですけど、お元気で~♪
(*'​-')​ノ

と~ちゃん49才様

こんばんは。
(*'-'*)

>うぅ~ん。やっぱり「妹分」ですね。

ハハハハ!
「お兄さん」に褒められて光栄です。
(o・_・)ノ(*'-'*)

>私の時代は500番台ブルトレでした。
>乗ったのも20系「瀬戸」。
>ブルートレイン牽引機や客車で世代が分かるのも、
>こんな趣味の楽しいところですよね。

20系は上り「あさかぜ」だけ記憶にありますね。
「銀河」の項で書きましたが、昔の「銀河」は東京到着が遅く、横浜駅で「あさかぜ」が「銀河」を追い抜いていたんですよ。朝9時過ぎだったと思います。
それを2回ぐらい見た憶えがありますよ。
今思えば、「20系が20系を抜く」! しかもEF65-500とEF58!
夢のようですね。。。。

>いつも通りの詳しい記事をありがとうございます。
>勉強させてもらってます(笑)

「アクセス解析」を見ると、このブログを「アーカイブ」的に利用する方が多く、何年も前の記事を検索して閲覧する方も多いので、なるべく正確に、間違いがあれば訂正するように努めております。
今後とも、ご愛読よろしくお願いします。
(*'​-')​ノ

もう少しブルトレの話

こんばんわ、今夜も寒いですね。
さて、もう少しブルトレの話をさせて下さい。
「あさかぜ52号」、乗車したのは小学6年の冬休みでした。
「寝台の幅が狭い」「3段寝台は窮屈」などなど…末期は評判のよくない20系でしたが、まだ子供の自分には気にならず、むしろ前年に乗った「あさかぜ2号」の24系25型より静かで良かったのを覚えています。
もっとも、今20系に乗ったら、「これで特急料金取るの?」だと思いますが…
「あさかぜ2号」は、当時は基本が下関、附属が広島持ちだったと思います。
広島で増結していたのは、30年経った今でもはっきり覚えています。
日田の保存車、スハネフはもちろん、ED76 91も会いたいです。
「彗星」に乗車した時、臼杵で停車中運転士さんに76バックに撮影してもらった、思い出のカマです。
多良木のブルトレの宿、実は昨年見てはいます。
放送装置も生きていて…あ、これ以上は話さない方がいいですね。
あと、話は全く違いますが、今日「緑の山手線E231系」についに乗車しました。渋谷で一時間待ってやっと来ました。
みっぴょんさんは、乗車されましたか?
と、少しのはずが、ちょっと長くなり失礼しました!

103おじさん様

こんばんは。 まだまだ寒いですねぇ。。。。
(*'-'*)

>「寝台の幅が狭い」「3段寝台は窮屈」などなど…末期は評判のよくない20系でしたが、まだ子供の自分には気にならず、むしろ前年に乗った「あさかぜ2号」の24系25型より静かで良かったのを覚えています。
>もっとも、今20系に乗ったら、「これで特急料金取るの?」だと思いますが…

昭和33年という時代を考えたら、20系も夢のような「走るホテル」であったと思いますね。
その頃は「夏は冷房がある」ってだけで大喜びだったことでしょう。
故・宮脇俊三先生が「その頃、”あさかぜ”は常に満席で、個室寝台などは想像もつかないが、3等寝台車でもエリート風の役人や会社員の乗客が多かった」とお書きになっておられました。
(この方は大正15年生れでしたので、「あさかぜ」が20系になった時には33歳だったわけです。まさに「”昭和の鉄道”に乗った男」だったんですね。)

宮脇先生、原田勝正先生、吉川文夫さん、最近旅立たれた星 晃さん・・・みなさん、天国で鉄道談義に花を咲かせておられていることでしょう。

>「あさかぜ2号」は、当時は基本が下関、附属が広島持ちだったと思います。

20系時代は記憶にないんですが、24系25形になってからの広島車は「手入れが良かった」と記憶しています。
寝台車としては走行距離が短かったことや、沿線の気象条件が良いこともあるでしょうが、広島鉄道管理局としては「東京直通列車」ということで特に力を入れていたこともあるんだろう・・・と思っています。

その点、尾久車とか、宮原車は冬の東北・北海道を走っていましたから、大変苦労したと思いますね。
尾久客車区の方に聞いた話では「調子が悪いと、仙台あたりまで添乗して様子を見ることもよくある」とのことですから。。。。

>「彗星」に乗車した時、臼杵で停車中運転士さんに76バックに撮影してもらった、思い出のカマです

「彗星」ですか・・・私、関西発着のブルトレで乗ったのは「日本海」だけで、九州方面のには全然乗る機会がなかったんですよ。
一度ぐらいは試してみるんでしたね。

「日本海」に乗ったのは妙な経緯があって、東京から福井へ行き、その足で青森へ行く用件があったからなんですが。。。。
ですから、乗車区間は福井→青森間でした。

>多良木のブルトレの宿、実は昨年見てはいます。
>放送装置も生きていて…あ、これ以上は話さない方がいいですね。

それは楽しみですね!
阿久根のは、例の評判が悪かった「ブログ市長」(解任されちゃいましたが)時代に補助金を削られ、経営が苦しいそうですから、ぜひ泊まってあげたいですね。
あと、三重県の関(亀山市)に「国民宿舎・関ロッジ」というのがあって、そこにナハネ20がいるそうです。
http://www.city.kameyama.mie.jp/sekilodge/
「1泊2食付5670円」は安いなぁ。。。。
(・.・)ほぅ
(ただし、「2013年4月1日から6月30日までは、改修工事のため休業」だそうですので、ご注意ください。)

>あと、話は全く違いますが、今日「緑の山手線E231系」についに乗車しました。渋谷で一時間待ってやっと来ました。

乗りましたか! 私は、まだなんですよ。
もっとも、12月末までだそうですから、1回や2回はチャンスがあるだろうと思いますね。
では~♪(*'​-')​ノ

No title

こんにちは。
EF66が牽く東海道ブルトレは全く撮って無かったので、凄く新鮮に見えます。EF65P牽引以降は鉄休みしてしまったもので、記憶もあやふや。こちらのブログの詳しい解説で理解を深めております。
若い頃はもっぱらワイド周遊券を駆使して座席夜行ばかり乗ってたので、高価な寝台はあまり使った事が無かったですね。
一度奮発して急行「北星」の頃にB寝台使ったくらいかなー。当時B寝台は10系も20系も寝台幅は同じじゃなかったでしたけ?
そう言えば、簡易荷物室付きの300番台は、タイ国鉄で走ってるのを見ました。譲渡されて直ぐだったのかまるで新車のような出で立ちに感動したもんです。

line様

こんばんは。
(*'-'*)

>EF66が牽く東海道ブルトレは全く撮って無かったので、凄く新鮮に見えます。EF65P牽引以降は鉄休みしてしまったもので、記憶もあやふや。

他の方へのメッセージにも書きましたが、私も1990年代前半の写真が全然ありません。個人レベルでは「ずっと追いかける」っていうのは困難ですから、仕方ないですよ。
(*'-'*) /ドンマイ!

>こちらのブログの詳しい解説で理解を深めております。

お役に立てて光栄です。
私も、原稿を書くためにあらためて調べ、「ああ、そうだったのか」ってことが結構ありますよ。

>若い頃はもっぱらワイド周遊券を駆使して座席夜行ばかり乗ってたので、高価な寝台はあまり使った事が無かったですね。

アレは重宝しました!
実は、今でも中国山地のローカル線には、乗っていない線区も少なくないんですが、それは「山陰ワイド周遊券」では乗れなかった区間ですね。

>一度奮発して急行「北星」の頃にB寝台使ったくらいかなー。当時B寝台は10系も20系も寝台幅は同じじゃなかったでしたけ?

同じ幅ですね。52センチ(今思うと狭いなー)。
後年には、10系寝台車も冷房化されていましたし、接客面では20系との差はあまりなかったんじゃないかと思います。

「北星」って上野~盛岡間のですか?
アレは1975(昭和50)年に、20系で特急格上げされましたが(「ゆうづる」「はくつる」は「北海道連絡」列車ですから、「岩手県本位の寝台特急」として)、
14系の時代が数年間あり、結局、東北新幹線開業で真っ先に廃止されたんじゃなかったですかね。
そのため、私は見た記憶すらあいまいです。。。。
(上野口の寝台特急は社会人になり、浅草で働き始めるまでほとんどご縁がなかったんですよ。その浅草時代には、週末、仕事が終わったその足で「はくつる」とか「八甲田」に乗ったことも多かったんですが。)

>そう言えば、簡易荷物室付きの300番台は、タイ国鉄で走ってるのを見ました。譲渡されて直ぐだったのかまるで新車のような出で立ちに感動したもんです。

タイの元・JR車については、たまに『鉄道ピクトリアル』にレポートが載りますが(編集長が好きで、よく行くらしい)、大事にされているようですね。
フィリピンのは、相当に「痛々しい」ことになっているようですが、フィリピンとタイでは民度の差があるんでしょうね。
もっとも、タイの場合は元JR車を、日本でいう「カシオペア」とか「トワイライト」並みの上級列車か、富裕層対象の団体専用列車にしか使わないようですから、荒らされないのかもしれませんね。
では~♪(*'​-')​ノ

4時半をまわりまして~

TBSラジオは東京ダイヤル954…という若山弦さんのタイトルコールが流れると、「あぁ『さくら』が西に向かうなぁ」なんて夕方の空を見ながら思っていたものでした。お疲れ様です。

113のアーカイブスの後はひょっとして、なんて思っていたらやはり。期待を裏切らないのがみっぴょんさんであります(笑)


末期の「あさかぜ」、確か東京駅で業務用室に荷物(新聞)を積み込んでいる様子を撮ったものあるはずなんだよなぁ、後で確認しなければ。スハは登場当時は「カニ22以来の架線からの電源」なんて言われてましたよね。直流しか集電できないので「下関あさかぜ」だからこその車両だったともいえます(もっともカニ22もパンタからの集電は直流区間のみ、あとはディーゼル発電機)。

「富士」もいろんな場所で撮りました。藤沢の先での富士バック(茅ヶ崎大カーブの富士バックは「富士ぶさ」で)、国鉄時代には東京駅に滑り込む66901牽引の様子も撮ってます。

湯河原の丘の上も暫く行ってないですね。ここ、寒い季節は待っているのが本当に辛い場所で、手に息をかけながら待っていたものです。これは個人的なことですけど、湯河原って足元見られたり、安宿でぼったくられたりでいい印象がないんですよ(感想には個人差があります、念のため)。

20系は「おが」と小岩井ホテルで乗りました。小岩井はロネなのでさほど感じませんけど、「おが」のハネは下段でも「蚕棚」を感じるものでした。結局、九州特急は「みずほ」に乗ったのが最初で最後。あの頃、現在の状況はまったく想像もできませんでした。いま思えば「みずほ」と「博多あさかぜ」がなくなり、「さくら」の発車が18時台になった94年はすでに終焉へのカウントダウンが始まっていたのかもしれません。

というわけで最終日の「富士ぶさ」は石橋鉄橋を見下ろす木の下で暴風雨を避けながら、遅れてくるのをじっと待っていた「たか」でした。

では

たか様

こんばんは。
(*'-'*)

>TBSラジオは東京ダイヤル954…という若山弦さんのタイトルコールが(以下略)

若山弦蔵さんといったら、全国的にはショーン・コネリー時代の「007」とか、「鬼警部アイアンサイド」の日本語版吹き替えなのかな。
(高齢のため放送には出演しなくなりましたが、現在も大山のぶ代さんが主宰する声優養成学校で教えている・・・とのことです。)
今でも、夕方にTBSラジオで荒川強啓さんが、5時のニュースの前に
「お疲れ様。5時になりました・・・では、ニュースです」
と言うのは、「大先輩である若山弦蔵さんにあやかって」のことだそうですよ。

>113のアーカイブスの後はひょっとして、なんて思っていたらやはり。期待を裏切らないのがみっぴょんさんであります(笑)

デジカメを買う前の写真はネガと紙焼きですから、113系の写真を漁ってたら、ブルトレがザクザク出てきて・・・(笑)。
古い写真の保存、皆様お悩みでしょうけど、パソコンに取り込んだところで、ネガを処分できないから困りますよね。。。。
(*゚ー゚)ゞ
(今、とりあえずCD-Rか何かに保存したとしても、電子媒体への保存なんて「絶対安心・安全」とは言えないので。)

>スハは登場当時は「カニ22以来の架線からの電源」なんて言われてましたよね。

カニ22形は、星 晃さんが「今だから話す」として晩年に語っておられましたが、アレは「島秀雄さんが強力に推進したので、作ってみた」もので、「島さんが退任したら、すぐパンタ集電は止めてしまった」と。。。。
なんというか、「人間くさい」面白いエピソードです。
(*'-'*)

>国鉄時代には東京駅に滑り込む66901牽引の様子も撮ってます。

EF66 901が旅客列車を牽引したの?! それは見たかったなぁ!
初期には「EF90 1」だったアレでしょ?
大昔ですが、新鶴見機関区で昼間、EF66が1両待機する運用があったんですよ。たまに901号機もいました。
EF66という機関車は『コロタン文庫』の鉄道シリーズ(笑)とかで知っていましたが、当時、鶴見あたりを通過するのは早朝・深夜の貨物列車ばかりで、子供たちが実物を見る機会は少なかったんですよ。
(下りで、15時過ぎに浜川崎方面から来て、鶴見を通過するのが1本あったような気もする・・・それが去ってしばらくすると、日にとっては159系(!)の大垣行き修学旅行列車「こまどり」の通過でした。)

>湯河原って足元見られたり、安宿でぼったくられたりでいい印象がないんですよ

湯河原は泊まったことないからわからないけど、温泉場は一般的に「お一人様」を歓迎しないからなぁ。。。。
何だったら、近隣都市(この場合は小田原駅前あたり)のビジネスホテルにでも泊まり、温泉そのものは「立ち寄り湯」に入ってみる・・・というやり方がいいかもしれませんね。

>20系は「おが」と小岩井ホテルで乗りました。

「小岩井農場のSLホテルって、まだあるの?」と思って調べましたが、残念ながら2008年11月3日限りで廃止されたようですね。
(場所柄「食事がおいしそう」なイメージがあるので、残念ですが。)
今は、他の方へのメッセージに書いたように、三重県・熊本県・鹿児島県に「寝台車に泊まれる」施設があるものの、「SLホテル」というものは全部消滅しました。

熊本県・・・と書いて、「そういや、菊池温泉の近くにオロネ25とかオハネ14が置いてあったらしい」と思い出しましたが、その後、噂すら聞きません。
結局、宿泊施設としては営業されず、解体・・・ってところでしょうかね。。。。
(*'​-')​ノ では~♪
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mitsuka115JNR

Author:mitsuka115JNR
「新と旧」「JR(国鉄)と私鉄」「日本と外国」「西と東」などにとらわれず、自由気ままに書いてます。お気軽に遊びに来てね♪
(コメントは「承認制」とさせていただいておりますので、表示されるまで、お時間がかかります。ご了承ください。
また、記事内容と無関係なコメント、「これはUPしたら荒れるね」と予想されるコメント、読者を不快にさせるネガティブなコメント(「クヨクヨ系」、「いちいち難癖・いちゃもん・喧嘩吹っかけ」、「メンヘラ」っぽい危ないコメント等) は、容赦なく削除します。

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