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東海道新幹線開業50周年シンボルマーク(2014年7月9日撮影)

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輸送計画の策定から、従来に例のない高速に挑む車両の規格・性能の検討、電気・信号・軌道の各システム概要、
各区間の工事状況、モデル線の建設から試験編成の紹介、メーカーからの搬入、試運転、車両基地、車両の運用・配置、試運転・1番列車の乗車体験記、
当時検討された貨物新幹線の構想、当時の「鉄道の話題」に掲載された新幹線関連の記事など、いずれも貴重な記事を収録しています。
■巻頭記事 東海道新幹線開業50年に思う(今田 保)

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(文庫版ですが、「全篇書きおろし」です。)
昭和50年代、大阪の乗務員宿泊所が不足していたらしく、新大阪駅前のビジネスホテルを国鉄が借り上げて宿泊所にしていたこと、
0系先頭車にあった、運転席とは別の「乗務員室」(個室)は便乗運転士用の設備で、中には二人座れる長椅子があった・・・といった細かい記述が、むしろ「運転テクニック」自体の話よりも面白い(笑)。

また、現在は運転士と車掌は兼任で、「N700系A」の章を読むと、どういうローテーションで運転士をやったり、車掌をやったりしているのかもわかりますが、
地方私鉄のワンマン列車の運転士と違い、JRは乗車券の規則が複雑で、畑違いの分野である「営業」の知識を習得するのは大変だったろうなぁ・・・と思いますね。
苦労といえば、「朝食に”納豆を食べたい”と思ったが、あまり消化に良い食べ物は乗務中にトイレに行きたくなるから控えた」との記述があります。これも、乗務員特有の「苦労」です(笑)。

経験者ならではの、そして、退職後も人脈を持つ著者にしか書けない話題が全篇にわたって書かれており、一読の価値があります。また、JR東海は「テロ対策」か何か知らんが、「鉄道の舞台裏」を公開することを極端に嫌う会社ですから、その意味でも本書の内容は大変貴重なものです

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「走るホテル」と呼ばれた20系客車


GDP(国内総生産)が対前期よりも1.2%伸びようが何しようが、我々国民の生活には、ぜ~んぜん関係ありませんし、とにかく、相変わらず「夢のない時代」が続いていますね。
(おまけに、直嶋通商経済大臣の「フライング発表」って何?! もうね、アホかと。。。)

鉄道業界にしても、福知山線事故調査に絡むJR西日本役員および社員(計35名)の処分(11月18日)など、ただただ不快なだけですし、
JR東海が海外のVIPを招待して新幹線N700系で330km/h運転のデモンストレーションというニュース(米原~京都間。11月16日深夜)も、
海外向け鉄道技術協力の実情と問題点がわかっていると、手放しで喜べるニュースではなく、夢が膨らむ話とは言えませんね。

夢の少ない時代ならば・・・目を閉じて、夢でも見ましょうか。「寝台特急で眠る夢」でも(笑)。

先日来、鉄道博物館(埼玉県さいたま市)の展示車両について、いろいろなお話をしていますが、今日は「走るホテル」20系寝台車のことを書きます。

某鉄道専門誌で「寝台列車」特集が組まれた折、編集後記に
「ガキの頃憧れて憧れて憧れて、もう乗れたら死んでもいいとさえ思ったブルトレ」とお書きになっていたスタッフがいましたけど、私もそう思いました(笑)。
女の子では、珍しいのかもしれませんけどね。。。。
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鉄道博物館には、20系客車のB寝台車・ナハネフ22 1が展示されています(上の写真)。

この車両は長年親しまれた「ブルートレイン」の第1期車です。
1958(昭和33)年10月1日のダイヤ改正から、東京~博多間の寝台特急「あさかぜ」に投入されたのを機に、北は青森から南は西鹿児島(現・鹿児島中央)まで、日本の夜を駆け抜けました。
独特の丸っこい外観・・・窓の右側(窓際に電話機が見える部分)は車掌室、左側はパブリック・スペースの展望室です(ただし、ここに座席はなかった)。

例によって、車内の構造を見ていきましょう。
ただし、中には入れませんので、見づらい写真で済みません。
まずは、「昼間」の状態から。


このソファー状の座席へ横並びに3人、向かい合わせで1ボックスに6人座るようになっています。
座席は、夜になると寝台の「下段」として使います。

座席の上に、妙な出っ張りが見えますが、これを手前に倒すと寝台の「中段」になります。
さらに、その上にも棚みたいな物が見えていますが、これは寝台の「上段」です(作りつけ)。

「夜間」の状態は、下の写真のようになります。


座席にはシーツが敷かれ、浴衣とハンガーが置かれて、寝台になっています。中段も引き出されていますし、(よく見えないけど)上段にも寝具が用意されています。
なお、この座席←→寝台の転換作業はセルフサービスではなく、「車掌補」という職名の職員(古くは「列車給仕」「ボーイさん」と呼んだ)が同乗しており、その人たちがやってくれました。
(1両に1人乗務していたが、1970年代半ばには合理化によって、2両を1人で受け持っていた。)
ナハネフ22形の寝台は48人分あり、転換作業には、だいたい1両に1時間ぐらいかかったそうです。
機械仕掛けではなく、また、そんな作業を走行中の車内でやるわけですから、かなり危険な重労働でした。

写真では見えていませんが、奥の窓側に梯子がセットされており、中段と上段へ上がる場合には、梯子を使います。

乗務員も大変でしたが、この寝台のサイズは・・・
幅52センチ、長さ190センチ。空間の高さは下段が75.5センチ。中段が73.5センチ。上段が83.5センチ。
(『鉄道ピクトリアル』2005年7月号付録の図面による。)
( ゜Д゜)<狭いっ!!!
幅52センチという数値は・・・通勤用電車の座席、あの幅がだいたい52センチぐらいですので、アレに寝そべるとご理解くださいませ。。。。
「勘弁してよ」って悲鳴が聞こえてきそうです。

もちろん、A寝台車は古くから2段式でしたし、幅も広く(ナロネ21形の場合100.9センチ)楽でしたが、
こんな狭苦しいB寝台車であっても、座席で眠るよりは楽ですし、昭和30年代に冷暖房完備の列車は珍しく、マスコミが「走るホテル」と呼んだのもわかります。
当時は「あさかぜ」に限らず、特急列車には食堂車を連結するのが約束事でしたが、ステーキ、ハンバーグ、シチュー、エビフライといった料理が「ご馳走」だった時代です。
日常的には、洋食と言えばカレーライスがせいぜい・・・といった時代ですから、九州とか山陽・山陰、あるいは東北の若者たちが「あの汽車に乗って東京へ行ってみたい。食堂車の洋食を食べてみたい」と憧れたのも当然のことでありましょう。

どういう人が寝台特急を利用したかといえば、A寝台の個室は政財界の大物や有名芸能人・プロスポーツ選手などに決まっており、
一般のA寝台(2段式)にしても、やはり富裕層が多く、B寝台でも有力企業の社員や公務員の出張、あるいは「年1回の家族旅行を楽しむ」といった人たちが多かったようです。

だいたい、昔は寝台券という物が非常に買いにくかった。
今のように窓口がオンラインではないし、長距離の旅といえば国鉄で行くのが常識だったわけですから、買いにくくて当然でしょう。
B寝台が窮屈な3段式だったのは、「一人でも多く乗せる」という意味もあったのです。
これに乗れない人たち・・・自分の目的地に特急が停車しないとか、満席で切符が買えない、あるいはお金がなかったり・・・は、座席の夜行列車(急行か普通列車)で旅をするのもまた、「常識」だったのです。


それにしても、1960~70年代の高度成長期は「夢」や「希望」や「憧れ」が多かったのですね。
今、低成長かつ管理社会になっているから、『3丁目の夕日』に代表されるような、あの時代へのオマージュが世の中にはびこっているんですが。。。。

それと、「あさかぜ」のような(当時としては)豪華列車は、1945~52年(敗戦から、サンフランシスコ講和条約締結まで)に走った「進駐軍専用列車」を模範にしているようですが、
いずれにせよ、技術を開発して車両を設計・製造したのはすべて日本人です。
日本人の夢は、日本人が創って、切り開いていた・・・と。
これは、結構大事なことなのではないかと思います。

だからねぇ・・・これは鉄道業界の話ではないけれど、自分の国に夢がなく、希望も自信も持てないからと言って、
フランス人の覆面批評家に、自国の食べ物屋さんを「星」の数で格付けされて、それを「ははぁ、さすがはミシュランさま・・・」とか言って平伏してるような日本人は「恥を知れ」って思いますわよ、私は!
(​ノω`​)プ​プフ​゚
(さすがに京都・大阪の方々は「タイヤ屋はんは、タイヤ作ってなはれ」と冷ややかな態度みたいですね。あっぱれ!)
==============================
寝台特急列車は、1975(昭和50)年3月10日に新幹線が博多まで開業しても、その人気は、すぐには衰えませんでした。

ところが、1980年代初頭には国鉄運賃・料金の値上げが毎年のようにあり、ちょうど、「1県に1飛行場」という政策がスタートした時期とも重なり、急激に利用者が減ってしまいます。

20系寝台車の製造は1970年度で終了し、1971(昭和46)年には後継車種の14系、73年には24系が登場しましたが、これらは、B寝台がまだ3段式でした。
ただし、B寝台の幅は52センチから70センチになり、以後はこれが標準とされます。また中段・上段のセットが機械仕掛けになりました。
(14系・24系とも、一部の急行充当車を除き、1982~84年にB寝台車も2段式に改造。)

1974(昭和49)年4月24日、B寝台車も2段式になった24系25形客車が特急「彗星」(新大阪~大分間)と「あかつき」(新大阪~熊本間・・・注:当時の運転区間)を皮切りにデビューし、以後、このタイプが寝台車の主流になります。

1975(昭和50)年3月10日から、「はやぶさ」(東京~熊本~西鹿児島間)、「富士」(東京~大分~西鹿児島間)、「出雲」(東京~浜田間)が20系から、24系に交代。
さらに翌年10月1日、「はやぶさ」「富士」「出雲」は24系25形充当となり、B寝台車を2段寝台化。A寝台車は1人用個室(シングルデラックス)オロネ25形(0番代車)に。
(ここから先、寝台特急全体に話を広げると煩雑なので、原則として「20系客車」にテーマを絞って書きます。)

1977(昭和52)年9月25日から、東京~下関間の「あさかぜ」1往復と「瀬戸」(東京~宇野間)も、20系から24系25形に変更。
1978(昭和53)年2月1日から、東京~博多間の「あさかぜ」1往復も、20系から24系25形に置き換え。
この時点で運行されていた「さくら」(東京~長崎・佐世保間)、「みずほ」(東京~熊本・長崎間)、「いなば」(東京~米子間)、「紀伊」(東京~紀伊勝浦間)は14系でしたので、東京駅発着の特急列車から20系は姿を消します。

しかし1976(昭和51)年2月20日から、東京~大阪間の急行「銀河」が一般型客車(スハネ16形など)から20系に変更されていたので、独特の丸っこいナハネフを、東京駅で見ることはできました。
「もう20系では、高い特急料金を徴収できない」ということで、急行用に格下げされた・・・と解釈すべきか、
それとも、「銀河」といえば国鉄の急行列車の中でも戦前からの伝統を持つ列車なので、「やはり”銀河”には元・特急車を使ったりしている。他の急行とは格が違う」と考えるべきか、迷うところです。

ただ、実際に私がお人形ちゃんと一緒に踏切へ日参して(笑)列車・電車を見ていた頃の印象では、「”銀河”はボロっちい」という評価でした。
「銀河」に食堂車やA寝台個室車はなかったし、その頃は最後部の列車名表示(バックサイン)が「銀河」ではなく「急行 EXPRESS」だったんですよ。
「特急には列車名を表示するが、急行には”急行”とだけ書けばよろしい」という、つまらん差別化。。。。

こういう、くだらない「国鉄根性」が、国鉄全体の評判を落としていた部分も多々あり、結局、1979(昭和54)年7月25日から、列車名が表示されるようになりました。
これが、流れ星を描いた素敵なイラスト入りの表示で、1950(昭和25)年10月ごろ、ごく短期間使われたバックサインのデザインを復活させたものだったとか。
「やれば出来るじゃないか」っていうことを、いつまでもやろうとしないところがまあ、今だから言うけど糞「国鉄根性」でした(苦笑)。

20系で最後まで残った特急運用は「あけぼの」(上野~秋田~青森間)でしたが、1980(昭和55)年10月1日から24系に置き換えられました。

1985(昭和60)年3月14日のダイヤ改正で、ついに「銀河」も14系に置き換えられました。
「銀河」は、東京発着定期列車で最後に残った20系充当列車でしたが、その頃私は高校受験だったので、追っかけてはおりません。
関西では20系「銀河」編成の「さよなら運転」があったらしいのですが、関東では何もありませんでした。
当時、まだ急行「だいせん」(大阪~出雲市間)と急行「ちくま」(大阪~長野間)が20系でしたから、関西からは20系が全滅したわけでもなく、そんなに話題となった記憶がありません。
なにしろ、当時は赤字ローカル線の廃止が急ピッチで、鉄道愛好者の視線は、もっぱらそちらに向いていたのでした。
==============================
私自身が20系に乗る機会は、なかなかありませんでした。

首都圏発着の急行列車では「銀河」のほか、「新星」(上野~仙台間)も1976(昭和51)年10月1日から20系になっていましたが、大阪や仙台に行く機会はありませんでした。
上野~新潟~秋田間の急行「天の川」も、「新星」と同時に20系になりましたが、秋田へ行く用事もないし、子供だけで行けるはずもありません。
東三条ならお墓参りに行くこともあったんですが、なにしろ下り(803列車)が東三条4時25分着、上り(802列車)が0時14分発という、とんでもない時刻だったので、話になりませんでした。
もっとも、上野~東三条間は約5時間ですから、寝台車で眠っている暇もないですよね。。。。
「天の川」と「新星」は1982(昭和57)年11月15日、上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で廃止されました。

大阪発着の「だいせん」とか「ちくま」は、横浜にいた私には、「天の川」以上に無縁の列車で、当時は見たことすらありません。

ようやく・・・専門学校生だった1990(平成2)年の夏、品川~博多間を走った臨時急行「玄海」で乗りました。
この時の20系はJR西日本広島支社の団体用車両「ホリデーパル」で、白とピンクだか、ふざけた色に塗り替えられていました。
しかしまあ、とにかく寝台は狭かったですよ。それまでに、九州特急や「銀河」、「北斗星」などで25形に乗る機会はありましたから、
「これが20系か?!!!!」( ​>∀<​)・∵​.ドッヒャ~!
というのを体験するために、わざわざ乗ったようなものです。
その頃ブームだった「”北斗星”で北海道へ行こうよ」とお友達を誘ったら何人も希望者がいて、高校の友達と専門学校の友達、計8人が集まったというのに、「玄海」には誰も同行してくれなかったし(笑)。
(まあ、二十歳の女の子が8人もいたら、朝から晩までお菓子とおしゃべりで口が動いてるんですけど[笑]。)

だいいち、その前年までは臨時特急「あさかぜ81・82号」として走っていたのに、「いまどき20系で特急料金は取れない」と、急行へ格下げされたのが「玄海」だったのです。
食堂車もA寝台も連結されてなかったので、「あさかぜ」の食堂車で供された「都ホテル」のステーキを偲びつつ、持ち込んだお弁当を寂しく食べる・・・と(泣)。

「玄海」という列車がいつまで走ったのか、私もよく知りませんが、1994年8月までではないかと思われます。
1994(平成6)年12月3日のダイヤ改正で東京~博多間の「あさかぜ」が定期運行廃止となり、旅行シーズンだけ東京~博多間の臨時列車が走っていましたが、これは24系25形充当でした。
そのため「特急料金を取れる車両」とみなされ、再び「あさかぜ81・82号」と名乗っていました(2000[平成12]年12月まで随時運転)。
逆に、そこで「玄海」はひっそりと消えたわけです。結局、私の20系乗車は1回だけに終わり、「ホリデーパル」も1996(平成8)年3月に廃車されました。
(なお「あさかぜ」は当時、東京~下関間では定期運行が存続していました。これは2005[平成17]年3月1日廃止。)

その後、JR西日本(大阪支社・宮原運転所)に残っていた20系も、1997(平成9)年11月29日、新大阪~岡山間のさよなら運転を最後に全廃されました。
これは、EF58形電気機関車(150号機)の牽引で昼間走ったんですが、確かに撮影するなら昼間に限ります。
しかし、20系といったら「青い流れ星・ブルートレイン」の始祖ですから、「乗るなら、夜行で寝てみたい」と思いますよね。。。。
そういうふうに迷った場合・・・私なら、完全に無視して撮りも乗りもしない(笑)。まず、大阪まで行かなきゃなりませんが、それも面倒でしたし。。。。
(そうやって割り切らないと、鉄道のイベントは年中、全国でやってますから、時間もないしお金も続きませんよ。。。。)
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鉄道博物館のナハネフ22 1は、1986(昭和61)年3月5日付で廃車されましたが、解体をまぬがれ、大船工場(後の鎌倉総合車両所)で保管されていました。

なんでも、「トップナンバーなので保管しておくか」ということだったらしいのですが、明確な保存の計画はなく、1988年の「北斗星」運転開始前には、シャワールームの設置試験車として供されたとのこと。
ボックス1区画分がそっくり撤去されているのが、シャワー室のテストをした跡だそうです。
その後、鎌倉総車の一般公開が行われた際には、E253系(成田エクスプレス)などとともに、ナハネフ22も展示されました。
(現在、鎌倉総車は工場部門が閉鎖され、車両基地部門のみ鎌倉車両センター[横クラ]として存続。)

鉄道博物館のオープン直後には、ナハネフ22の車内に入れたそうです。しかし、心無い者に荒らされたため立入禁止となりました。実質的には、ほんの数日間しか中には入れなかったようです。

私はオープン直前の関係者向け事前公開に招待されていたのですが、仕事で行かれず(泣)、正式オープンから4日目に行きましたが、すごい人気で「入場まで3時間待ち」と言われて断念(さらに泣)。
結局、オープンから1ヶ月後ぐらいに行ったのが最初の入館でしたが、その時には、すでに立入禁止になっていました。


ところがですよ・・・今でも「宿泊できる20系」があるみたい。。。。

三重県亀山市にある「国民宿舎 関ロッジ」に、ナハネ20 2237(米ヨナ)があるんですよ。。。。
これは、博多~米子間の急行「さんべ」に使われていたもので、1985年から「関ロッジ」の宿泊施設として供されているようです。
現在公開されている公式ホームページ(http://www.city.kameyama.mie.jp/sekilodge/)には、大人1泊2食付で5670円(税込み)とあります。
( ​゚∀゚​)<安いね!

2008年4月に宿泊したという方のブログも拝見しましたが、写真を見る限り、外観は多少くたびれているものの、車内の状態は良好です。
ただし、予約の際「ブルートレインに泊まりたい」とハッキリ言うこと。また、「かなり狭いけどいいですか?」と尋ねられるそうです(笑)。
最寄り駅は関西本線の関駅か・・・。

私、「四日市へ行かなきゃ」っていう用件が、もう数年越しの懸案事項としてあるのよ。。。。
そうか、これを機会に・・・フフフフ。
楽しみ!(o^-')b


【追記】(2012-03-14)
確認したところ、三重県亀山市の「国民宿舎 関ロッジ」は盛業中で、「ブルートレイン」も健在です。
(上記、公式サイトによる。価格の変更もなし。)
2011年1月に三岐鉄道を訪れた際は、四日市市内のビジネスホテルに宿泊しましたが、
関といったら、東海道五十三次の宿場じゃないですか。。。。

この記事を書いた当時は、東海道五十三次など何の興味もありませんでしたが、
2011年12月にスタートした「東海道五十三次を歩こ~♪」の途上で、「関ロッジ」に泊まれるかもしれません。
(*'-'*) 楽しみ~♪
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